
第600回 2025年12月14日 開催場所 水道橋~人形町
2025年9月で東京を再発見する会は25周年。この回で600回目のイベントとなりました。江戸時代以前の江戸を歩くをテーマに9時半から歩く予定でしたが、あいにくの雨で昼より天気が回復する予報でしたので12時スタートと変更しました。集合時、まだ霧雨が降っており寒さもあるので地下鉄水道橋駅構内に移動して屋内でコース解説。なぜ水道橋スタートとしたか。江戸の母なる川である平川が日比谷入江に向けて流れていた。江戸時代には神田川が人工的に切り開かれて川は隅田川に向かった。切り開かれた神田山の土は日比谷入江埋め立てに使われた。縄文海進が終わった後に江戸前島に人が住み始める。その人たちは本郷台地をそのまま降りてきたのか。平川沿岸から平川沿いに移住した人たちはいるのでは無いか。江戸氏が最初に館を築いたのは江戸城の場所ではなく水道橋辺りという説。飯田喜兵衛が徳川家康を案内した千代田村をその功により飯田町と名付けたという逸話などがあったので水道橋スタートにしました。日本橋川沿いを歩きます。堀留橋までの平川は今とは違うところを流れていました。江戸時代は一旦埋め立てられ堀留となり明治時代に掘り直して復活しています。雉子橋で日本橋川は不自然な方向に曲がって流れています。これは平川の自然の流れは江戸城の外堀の方に流れていたことが推定できます。この日本橋川を付け替えたのが徳川家康というのが定説ですが、太田道灌の時代に付け替えられたという説もあります。平川門は太田道灌時代の江戸城の大手門でした。このまま堀に沿って進んだところが平川が日比谷入江に注ぎ込むところで江戸湊ができたところ。江戸のルーツは大手町にあり。神田明神のルーツとなった神田ノ宮があった平将門公の首塚を参拝し神田橋を越えていくと江戸前島と海だったところの高低差が微妙にわかる場所がありました。平川門から皇居に入ります。武蔵野台地が海に落ち込むところにあった地形が実感できたと思います。まだ少し残っていた紅葉も美しかった。ここから江戸前島の方に歩く予定でしたが、時間を変更したので行けず。また別企画で歩くことにします。コースを変更し一石橋へ。ここは日本橋川、外堀、道三堀が交差する川の交差点だった所です。徳川家康が江戸のまちづくりをした時の重要なポイントです。江戸の中心日本橋。徳川家康が江戸の城下町を造った時に最初に町割りがされた場所。江戸の原住民が移住させられた場所でもあります。日本橋本町はもともとは江戸本町。コレド室町のある場所には西堀留川がありました。昭和通りを越えると東堀留川がありました。戦後の瓦礫処理で埋められましたが。これらは古石神井川の河口。江戸は平川と古石神井川の河口がありました。少し歩くと堀留川と日本橋川の合流点。これらは古石神井川が江戸湾に流れ込む河口の跡で、日本橋川が付け替えられた跡の江戸湊でもありました。ここでタイムアップ。人形町まで移動して忘年会。中華居酒屋の2階を貸し切り。和気あいあいで楽しい忘年会。お店もサービスが良い店で良かったです
水道橋駅~本郷台地~神田川、日本橋川分岐点~小石川御門跡~旧平川流路~飯田町貨物駅跡~堀留橋~俎橋~宝田橋~雉子橋~雉子橋御門跡~江戸城外堀~竹橋~平川門~大手町~江戸湊、日比谷入江(推定)~平将門公首塚~神田橋~江戸前島高低差~一ツ橋~皇居東御苑~梅林坂~天守台跡~汐見坂~大手門~一石橋~外堀、道三堀跡~日本橋~古東海道、鎌倉街道、旧日光道中~西堀留川跡~東堀留川跡~古石神井川河口~人形町駅
忘年会 吉月酒場 人形町本店























