5月18日(日)芽吹きの奥多摩むかし道 新緑ハイキング

第587回 2025年5月18日 開催場所 奥多摩

カズオ君ガイド、新緑の奥多摩むかし道歩きでした。何度かむかし道は歩いていますが、いつもは奥多摩駅から奥多摩湖に向かって歩きました。今回は奥多摩湖スタートで駅に向かって歩きました。奥多摩駅集合後、バスに乗って奥多摩湖に移動。奥多摩湖ではフリータイムを設けて小河内ダム、水と緑のふれあい館(郷土資料館)を見学しました。地上から見上げた天空の集落に向けて奥多摩むかし道を遡ってゆきます。むかし道は国道411号線が開通する前の旧青梅街道です。以前に休憩した青目立不動尊は見学不可になっていた。舗装路から未舗装路に入りますが整備されたハイキングコースなので歩きやすい。民家の軒先をかすめていきます。昔の人たちも民家の庭先のようなところを歩いていたのですね。素朴な雰囲気が素敵です。谷深く川には近寄れませんが、覗き込む渓流は荒々しくダイナミック。西久保の切り返し近くにある休憩所でランチタイム。ここから合流する方々もいて、改めて午後の部をスタートします。道所吊橋は老朽化のために2人ずつしか渡れず、交代交代で渡って景色を楽しみました。虫歯地蔵など、昔の人は歯痛に襲われても神に頼るしかなかったことを考えると恐ろしいかも。馬の水飲み場には茶屋があったようです。ところどころに集落や住宅があります。住宅や墓所も崖に張り付くように建てられています。しだくらの吊橋でも2人ずつしか渡れません。橋から見る渓谷美もなかなかのものです。ところどころに素朴な信仰の跡が遺されていて古の暮らしを想像してしまいます。巨岩の迫る白髭神社では7年前と同じポーズで記念撮影。境の清泉では豊富な湧水。顔を洗ったら気持ち良かった。湧水はワサビ栽培にも使用されています。不動の上滝にはトイレも整備されていて滝を見ながら休憩をしました。小河内ダムを建設する資材を運んだ鉄道の遺構があちこちで見られましたが、廃線跡に近づいてみます。線路も残り鉄橋やトンネルも残されていて臨場感があります。これだけのものを建設して5年半しか使用しなかったのはもったいない気もしますね。羽黒坂を過ぎるとむかし道は終わり現代の青梅街道に出て奥多摩駅に到着しました。奥多摩湖から歩いた方が上りが少ないかもしれません。いつもと逆に歩くのも新鮮味がありました。打ち上げは以前にも行ったクラフトビールのお店。濃厚なクラフトビールが山を歩いた喉の渇きを癒してくれました

奥多摩駅(バス移動)~奥多摩湖、小河内ダム、奥多摩水と緑のふれあい館~奥多摩むかし道~水根の城山~水根観音~青目立不動尊(見学不可)~浅間神社~西久保の切り返し~道所吊橋~玉堂歌碑~虫歯地蔵~牛頭観音~馬の水のみ場~縁結び地蔵尊~しだくら吊橋~厳道の馬頭様~惣岳の不動尊~いろは楓の巨樹~耳神様~弁慶の腕ぬき岩~白髭神社~境の清泉~不動の上滝~槐木~廃線跡~羽黒坂~羽黒三田神社~奥多摩駅

ランチ 西久保の切り返し近くの休憩所
打ち上げ ビア カフェ バテレ


5月11日(日)全体像で見る利根川東遷荒川西遷(勉強会)&総会

第586回 2025年5月11日 開催場所 荒川区

毎年恒例の総会と勉強会。今年は荒川区所外学習センターにて行いました。11時より総会スタート。2024年度の事業報告と収支報告など行い、各議案を審議いたしました。2025年の事業計画など話し合い、会員や有志の方々と今後のイベントについてのリクエストや、皆さんからの要望などを聞きながら今年度の方向性を決めてゆきました。小休止を挟んで勉強会を行いました。勉強会は「全体像で見る利根川東遷荒川西遷」ということで、今まで利根川東遷や荒川西遷などの勉強会を行いましたが、それぞれを時系列で話しても利根川、荒川、江戸川、入間川などどのようにお互い影響し変化していったか全体像がつかめなかったのではないかと考えました。関東の全体図を見ながら利根川や荒川の変化が他の河川や関東全体にどのような変化をもたらしていったかということを知ってもらうために全体図で見たり、部分的にクローズアップして見たりより理解度が深まるように進めました。時間が長いとだらけてしまうので短めに設定したのですが時間が足りずに少し慌ただしくなってしまったかもしれません。終了後は町屋まで移動して懇親会でした。懇親会においては河川の研究をされている方々とも有意義なお話をすることができました。今後の歴史研究においても役立つお話や交流が出来ました。楽しくお話も盛り上がり二次会まで有意義な時間を過ごすことができました

懇親会 あんじゅ
二次会 ten10


4月20日(日)東川、砂川堀の源流を見てみたい

第585回 2025年4月20日 開催場所 東川、砂川源流

東川源流シリーズの最終章、ついに源流まで歩きました。小手指駅に9時前に集合。バスで前回終了の誓詞橋の少し先のバス停からスタート。北野総合運動場の裏から東川に沿って歩いて行きます。東川一級河川起点石標はガードレールに隠れて全体が見られません。何でこんな建て方をしたのか?小手指合戦にゆかりのある箙の松の先は東川も細くなっていき源流まで遥かに遡ってきた雰囲気を感じます。三ケ島八幡宮を過ぎ狭山丘陵をゆるゆると上がっていきます。一筋の細流になった東川は暗渠となります。残念ながらこれ以上の追跡は不可能ですが、川自体は奥の谷戸になっている集落のあたりから湧出して流れていたと推測されます。4月は花の季節、個人の自宅や畑ですが芝桜が美しいので見学させてもらいながら分水嶺を越えて砂川支流の谷に降り、早稲田大学に隣接する葛籠入湿地水源地に入りました。ここは湧水のある湿地に木道が設置されて水源地に分け入れるようになっています。ここも紫色のお花が群生していて綺麗でした。尾根にある狭山湖外周道路に上がり、ハイキング気分で山道を歩きます。ナラ枯れが進み通行止めになっている道も多いのですがいつか歩いて見たいと思います。入間市に入り大谷戸湿地から里山風景を見てさいたま緑の森博物館案内所前フリースペースでランチタイム。さいたま緑の森博物館は森や自然が展示物というコンセプトなので案内所しかありませんがトイレやランチ、休憩をして体力回復。午後はまた山を越え所沢市に戻り、八幡湿地と糀谷八幡宮を見学。山之神神社、比良の丘と上がって行って、砂川の谷に降りました。ここには堂入沼と少し先に砂川の水源があるのですが立ち入り禁止になっているのでその手前までしか入れません。そこから砂川沿いに下ってゆきます。川沿いに道が無いので比良の丘にまた上がり早稲田大学の敷地の境界を進みます。砂川水源の一つ蛇崩湧水をすぎると再び砂川と再会。早稲田大学の敷地内を湿地を形成しながら流れて来ます。湿地を抜けると砂川は側溝の中を流れ周辺は住宅地になっていきます。この辺りに寺社が多いのも砂川沿いが古くから開けていた証でしょう。枝垂れ桜の綺麗な花のお寺金仙寺、氷川三社の一つ中氷川神社、将軍家墓所の石燈籠のある常楽院、狭山観音霊場の一つ慈眼庵、美しい佇まいの宝玉院、くろすけの家の愛称がある旧和田家住宅など見学しながら進み、時折、砂川に沿って歩き。やがて本数の少ないバスの来る時間に近づいてきます。もう少し砂川に沿って下流に向かいたいところですが余裕をもって大日堂バス停からバスに乗ることにして、バス停周辺の三ケ島稲荷神社や石造物などを見たりコンビニでゆっくりしてバスに乗車しました。小手指駅で解散。有志で打ち上げ、焼鳥と共に所沢名物の焼き団子もいただきました。所沢の地名の由来にもなり、所沢の母たる東川を河口から水源までようやく完歩出来ました。また旧石器時代の遺跡などがあり、古くから人の営みに貢献した砂川も歩いて知ることができました。緑豊かな里山に触れ季節の花々を愛で心豊かになりました

小手指駅~(バス移動)ロイヤルこころの里病院バス停~小手指ヶ原古戦場跡、白旗塚(遠望)~北野総合運動場~東川~泉橋で合流する支流~田端薬師堂~稲荷坂~狭山湖橋~生垣に埋もれた馬頭観音、石橋供養塔~下田橋~東川一級河川起点石標~花一揆梅樹古跡碑~箙の梅~東川支川~石橋供養塔~三ケ島八幡神社~八幡橋~無名橋と地蔵尊、馬頭尊~トトロの森10号地~東川水源~芝桜(個人宅)~狭山湖、根小屋城跡~埼玉県立芸術総合高校~
砂川堀支流~早稲田大学所沢キャンパス~葛籠入湿地水源地~和幸の森石碑~自然観察路入口~縄竹十字路~狭山新道改築碑~大谷戸湿地~さいたま緑の森博物館~宮寺大日山の石造大日如来像~馬頭観音~八幡湿地~糀谷八幡宮~御霊権現~山之神神社~比良の丘~堂入沼 砂川(砂川堀)源流入口~フロンティアリサーチセンター~堀之内の庚申塔~蛇崩湧水~
砂川上流部と湿地~聴松軒馬頭観世音~金仙寺~中氷川神社~三ケ島秋葉神社~澱粉橋~石橋供養塔~常楽院~慈眼庵~宝玉院~旧和田家住宅~馬頭観音~庚申塔、三山百番石橋供養塔~三ケ島稲荷神社~馬頭観世音~三ケ島諏訪神社~大日堂バス停(バス移動)~小手指駅

ランチさいたま緑の森博物館案内所前フリースペース
打ち上げ 八剣伝 小手指駅前店


4月5日(土)新小岩公園でお花見

第584回 2025年4月5日 開催場所 新小岩公園

毎年恒例の花見です。好天に恵まれ準備段階から参加者は盛り上がり。他団体と共同で行ったので約80名という大所帯になりました。桜を愛でながら新小岩で買った惣菜やみなさんが持ち寄った食べ物を食べながらお酒は進み、懐かしい面々も居たり楽しい交流となりました。16時過ぎには終了し二次会へ移行して行きました。花見時期は天気が荒れることも多いのですが穏やかに花見をすることができました


3月30日(日)防災まちあるき続編

第583回 2025年3月30日 開催場所 関屋~三ノ輪

昨年末行いました防災まちあるきの続編です。京成関屋駅を12時にスタート。周辺は金八先生の撮影地だったので、金八先生の聖地を点在します。荒川の河川敷に出ると堀切橋。ここは京成線の線路の部分の堤防が低くなっています。ここから荒川の水があふれると千住地域が水没するだけでなく支川を通じて隅田川に流れ込み、都心に水害を及ばせる可能性もあります。岩淵水門が守られても、他の場所から水害が起こる可能性もあるのです。荒川から隅田川沿いを歩いて行きます。この付近は東京都の防災拠点。スーパー堤防は完備し、防災団地は防火壁となり要塞のような威容を誇ります。過去に震災、戦災では火事で多くの人がなくなった教訓として水の備えと共に火の備えも万全です。隅田川沿いの防災と史跡を巡りながら墨堤に沿って歩いていきます。墨堤は隅田川の自然堤防を利用した江戸時代の堤防で近代以前の治水、防災を垣間見ることができます。向島には美味しい甘味もあるのですが花見シーズンということでどこも大行列。お店に立ち寄るつもりでいたのですが行列長すぎて買えず。隅田川を越え対岸の台東区へ。山谷堀も桜の名所です。麗らかな陽気の中を花見散歩ができました。混雑のために甘味店に立ち寄れず時間が余りそうだったので、大河ドラマべらぼうにちなんで吉原を少し歩きました。蔦屋重三郎の墓碑のある正法寺、見返りの柳から吉原大門、お歯黒溝へ。山谷堀を遡ります。この土手も江戸時代の水害対策。大規模土木工事のできなかった昔は江戸中心部を土手で守って周辺地域を遊水池にしていたという、周辺地域には負担のある防災対策でした。浄閑寺を見学して三ノ輪で終了。2回にわたって水害を中心とした東京の防災を考えるまちあるきを完了しました。今回は東京の中心部から城北地域の水害に対する内容だったので、東京の他の地域の水害についても考えてみたいです。打ち上げに予定していたお店が休みだったので商店街の渋い居酒屋で打ち上げを行いました

京成関屋駅~牛田駅~雑賀屋~十一面観音~日の出屋~柳原架道橋~柳原千草園~冨沢家住宅~柳原地区~荒川河川敷、古隅田川、金八先生撮影地~堀切橋~旧新綾瀬川、隅田水門~堀切駅~東京未来大学~ラーメンみゆき跡~横山商店~綾瀬橋~花王ロジスティクス~カネボウ~墨田区総合運動場~伊澤造船所~旧綾瀬川、古隅田川合流点~隅田川、鐘ヶ淵伝説~汐入公園~白鬚西地区~東京都リハビリテーション病院~水神大橋~水神の渡し跡~白鬚西ポンプ場~防災団地~隅田川神社~近代映画スタジオ発祥の地~白鬚橋~白鬚東共同利用工場~リバーサイド隅田~レストランカタヤマ~旧墨堤の道~白鬚神社~西川春洞・寧住居跡~葛飾北斎「白髭の翟松 今戸の夕烟」~子育地蔵~地蔵坂通り商店街~吉備子屋~向島艇庫村跡~平作堀、白鬚の渡し、堤通公園~志”満ん草餅~大倉喜八郎別邸跡~銅像堀~牛島堤跡~鳩の街~請地古川跡~隅田公園少年野球場~言問団子~言問団子と郡司大尉~見番通り~艇庫とレガッタ~野口雨情碑~墨堤植桜の碑~墨堤植桜之碑と勧進帳~三浦乾也旧居、窯跡~正岡子規仮寓の地~長命寺桜餅~牛嶋神社旧址~桜橋~葛飾北斎三囲牛御前両社之図~山谷堀~台東リバーサイドスポーツセンター~今戸橋~竹屋の渡し~平成中村座発祥の地~今戸焼~慶養寺~聖天橋~都立浅草高校(弾左衛門屋敷跡)~吉野橋~正法寺~正法寺橋~山谷堀橋~日本堤~禿坂跡~紙洗橋~地方新橋~地方橋~化粧坂跡~日本堤橋~見返りの柳~吉原大門~鉄漿どぶ跡~いろは会商店街~土手の伊勢屋~中江~山谷堀と思川~音無川と日本堤~浄閑寺~三ノ輪橋

打ち上げ Aterui


3月9日(日)歴史と自然をめぐる立川散策

第582回 2025年3月9日 開催場所 立川

多摩地区ガイドカズオ君の立川まちあるき。今回は立川でも南側。旧柴崎村であった地域を中心に回りました。立川駅北改札を12時過ぎに出発。立川駅周辺のお店やスポットを紹介していきます。過去に映画の街であったことや、多摩におけるサブカル文化発信地であることなどを知ることができました。立川諏訪神社は柴崎村の鎮守様で、周辺には立川駅周辺が柴崎村と呼ばれた頃の歴史を語るものが多く残されています。養蚕が盛んであったことや、諏訪神社と相殿で祀られている八幡神社も現地の豪族立河氏の氏神という由緒ある神社でした。玉川上水から分水された柴崎分水は意外にも水清らか。中央線の上を越えていくのが見どころですね。普済寺では国宝の六面石幢は見ることができませんでしたが、中世豪族の館であった雰囲気の伝わる名刹でした。市街地化していますが立川崖線を感じながら歩きBakery loroで美味しいパンの購入タイム。高尾亭ではモヤさまで紹介されたお蕎麦屋さん。当たりが出るとタラバガニやふかひれが出てくるという自販機にみなさん釘付けでした。崖線と湧水に沿って歩きながら駅名にもなっている柴崎市民体育館、旧甲州街道は日野の渡し跡で道が途切れています。その先には昨年歩いた日野の風景が見えて懐かしい。多摩川の流れを見て、残堀川に沿って歩きます。崖線の崖の高低差が際立っておりました。大滝と呼ばれる構造物のあたりまで来ると残堀川は水無川となっていました。常楽院に立ち寄って立川市歴史民俗資料館で立川の歴史を学びます。富士見緑地から崖線の上に上がり、東京都農業試験場。もうここまで来るとのぼ昭島市。五日市鉄道駅跡やお店などを紹介しながら立川駅を目指して戻ります。大衆演劇立川・けやき座はなかなか良い雰囲気。イタリアンのお店で皆さんお土産のプリンを購入しました。立川で最も高いビル、立川タクロスはいなげや創業の地でした。立川の南部を中心に駅周辺から多摩川、昭島市境まで紹介することができました。17時過ぎに解散。有志で打ち上げが行われました

立川市~立川駅「幻の1番」~甲武鉄道~立川駅南口~立川タクロス~ラーメンスクエア~アレアレア~とある自動販売機~アニメイト立川~立川名画座跡~コトリンク~らーめん愉悦処 鏡花 立川本店~柴崎学習館~諏訪神社~柴崎村~韮山代官所移築屋敷門~八幡神社本殿跡~八幡神社大欅~獅子舞御宿~満願寺跡~柴崎分水~柴崎分水中央線跨線樋~普済寺~立川家住宅跡~立川教育文化発祥の地~学校教育発祥之地~沢稲荷~大和田遺跡~立川崖線~立川断層~Bakery loro~高尾亭~ガニガラ広場~柴崎市民体育館~甲州街道~日野の渡し跡~東京賢治シュタイナー学校~根川緑道~スープカフェ なんでもない日~多摩川橋梁~錦中央工業/ピネココ~山中坂地蔵堂~昭和用水~残堀川大滝~たちかわ創造舎~常楽院~立川市歴史民俗資料館~富士見緑地~東京都農業試験場~東京都農林水産振興財団 立川庁舎~東京都立 多摩職業能力開発センター~郷地駅~コストコ再販店 ココスコ(立川店)~むぎこ製ぱん所~Kaeru Bagel~Onsite Audio 立川店~武蔵上ノ原~ばくだん畑~大衆演劇立川・けやき座~Pizzeria YUICIRO&A と TOKYO 立川ぷりん by.YUICIRO&A~カレー会議室~いなげや創業の地

打ち上げ だしのすけ
1.5次会  さいちゃん
2次会   餃子のニューヨーク


2月22日(土)岩付城をマニアックに歩く

第581回 2025年2月22日 開催場所 岩槻

山本さんのお城シリーズ「岩付城」でした。岩槻駅9時集合出発。太田氏ゆかりの芳林寺、昭和初期に建てられた警察署の建物を利用した岩槻郷土資料館を見学します。城下町らしく日光御成街道沿いには古い老舗の建物や名産の人形のお店が並び良い雰囲気です。児玉南柯が創設した藩校遷喬館や時の鐘を見学。城の大構に沿って歩いて行きます。大宮台地を利用し城下町まで大きく囲い込んだ城塞都市でありましたが、城は破却され宅地化されてしまい、大構は民家の中に埋もれつつあります。高低差などに痕跡を見ることができますが、知らねば気付かず。そんな遺構を山本さんのマニアック解説で現代に掘り起こして参ります。大構の遺構を色濃く残す愛宕神社では石段に飾り付けられたお雛様が圧巻でした。大構は駅の近くにまで至っていて、駅付近でここにランチタイム。B級グルメの豆腐ラーメンを食べに行った方も多かったことでしょう。午後も大構に沿って歩きます。お城らしさを感じるために城址公園を歩きます。曲輪や北条氏特有の障子堀、城門などの遺構を見ることができます。高低差は思いのほか険しく、またお城の周辺は湿地で、お城自体も沼の中に浮かぶように存在して難攻のお城らしさを感じることができました。本丸、二の丸のあたりは完全に市街地化してしまっていて存在を示す碑と高低差でしか示すことができません。お城の遺構をもっと取っておけば良かったのにと思ってしまう部分もありましたが、山本さんの解説によって浮き彫りにされたお城は壮大なスケールを持つお城でありました。岩槻駅まで戻って解散。有志で大宮まで出て打ち上げとなりました

岩槻駅→芳林寺→岩槻郷土資料館→岩槻藩遷喬館→裏小路公園→時の鐘→大手門跡→三の丸跡→北側曲輪群散策→大構散策→愛宕神社土塁→岩槻駅(昼食自由時間)→大構散策→岩槻城址公園(新曲輪、稲荷曲輪、障子掘、黒門、裏門見学)→本丸・二の丸跡散策→岩槻駅

ランチ  岩槻駅周辺で個々に
打ち上げ 大宮にて


2月16日(日)朝散歩朝飲みアキバ

第580回 2025年2月16日 開催場所 秋葉原

山手線一駅まちあるき「秋葉原」続編。前回、秋葉原の歴史を話しながら周辺地域から回っていったら一番コアな部分が残ってしまったので、今回はコアな部分のショート散歩+リクエストの多かった朝飲みという形で行いました。7時半秋葉原駅出発。いつも人が多い秋葉原もこの時間からスタートすると人が少なくスムーズに移動できます。まず秋葉原駅で前回のおさらいから。江戸時代に入って神田川が開削され、江戸の守り神神田明神が移転してきたこの地は武家地と町人地が入交り、材木商も多く江戸の大火の火元となることも多かった。火事が多かったことから明治に入り鎮火社(火伏の神様、秋葉神社だと思われていた)が置かれ火除けの広場が造られました。そこで生まれた地名が秋葉原。明治に入って発展する東京に貨物ターミナルが必要となり、鎮火社を移転させ、火除けの広場に造られた駅が秋葉原駅の前身でした。貨物駅だった名残に運河の跡があり、その痕跡や周辺のお店を紹介しながら昭和通り口から電気街口へ。ここには昔ながらの電機部品など扱う小さな店舗の入った建物やビルが残っています。戦前は万世橋駅や須田町界隈が甲武鉄道や市電(今の都電)のターミナルであり東京随一の盛り場でありました。戦後はそこに露天商が集まり、電子部品やラジオなどを扱う露店が多く集まりました。GHQによってそれらは高架下や代替となる建物に移転させられてそれが秋葉原電気街のルーツとなりました。中央通りを歩くといろいろな大型店舗が並んでいますが、以前はテレビCMでもお馴染みであった家電量販店がひしめく場所でありました。高度経済成長、バブルと秋葉原は世界の電気街として君臨し多くの人を集めていきました。しかしバブルが弾け家電が売れなくなってくると家電量販店はパソコンにシフトし、秋葉原はオタクの街へ。windousシリーズが飛ぶように売れ秋葉原はパソコンの街になっていくかと思われましたが、ヨドバシカメラ、ビックカメラ、ヤマダ電機、エディオンなど郊外型の量販店が力をつけ、秋葉原の家電量販店はその傘下に組み込まれて行き家電量販店の勢力は再編されて行きました。AKB48劇場のあるドン・キホーテ、ソフマップ本店だったビックカメラを通って再開発された秋葉原クロスフィールド。ここには江戸時代からの歴史がある青果市場がありました。秋葉原の大きな転機は2005年前後にあるのではないでしょうか。2005年にはクロスフィールド、ヨドバシカメラがオープンし、ドン・キホーテのAKB48劇場や日本初のメイドカフェがオープンしています。ヨドバシカメラの巨大店舗完成と共に電気街は終焉を迎え家電量販店の統合が進んだ。クロスフィールドの完成により秋葉原がIT関係のオフィス街となり、またPCやオタクの街であったものが世界的なサブカルチャーの発信地へと変化していったものであると考えます。中央通りの反対側に進むと様々なコンセプトカフェがあります。メイドさんだけでなく、男装であったり、猫の世界、人魚であったり・・・・鉄道や特撮、アニメ、フィギュアなど、ジャンクな電子部品を扱う店など多種多様ですが、そういった中にも老舗の飲食店などもあったり。あれやこれやで中身盛りだくさん。歩く範囲は狭いのですが2時間半以上きっちりと話しながら歩きました。10時には朝飲みに移動。歩いたので朝飲みしても罪悪感は感じません。24時間営業の新時代は名物の伝串。程よく喉も乾きお腹もすいていたので1時間半ばかり楽しく過ごせました。二次会はお肉が安く飲み物も手頃価格なお店でしたが、皆さん一次会で食べ過ぎたようで、せんべろセットで飲み中心に2時間。気持ちよく酔えました。一応ここで解散でしたが、勢いの止まらない面々は電車移動で3次会へ消えていきました

秋葉原駅~秋葉原公園~書泉ブックタワー~和泉橋~岩本町駅方面遠景~佐久間橋跡~割烹たなか~町役場 ~麺処 マゼル ~ヨドバシカメラ~麺処 ほん田~アキバ・トリム~秋葉原ワシントンホテル~大人のデパート エムズ~万世橋警察署~秋葉原ラジオ会館~海洋堂 ホビーロビー東京 フィギュア店~アキハバラデパート跡~旧第一家電跡~万世橋~ラジオセンター~サトームセン本店跡~ナカウラ本店跡~Cafe MOCO~旧ソフマップ本店跡(ヤマギワ東京本店跡)~秋葉原ダイビル~秋葉原通り魔事件現場~秋葉原クロスフィールド~
秋葉原UDX~神田青果市場跡~天ぷらひさご~ちゃばら~SEEKBASE~秋葉原 コンカフェ マーメイド~花房稲荷~TSUKUMO ex(T-ZONE本店跡)~ドン・キホーテ、AKB48劇場(ミナミ電機本店跡)~ヒロイン特撮研究所 東京本部~とり庄~アキバ田代通り~ベルサール秋葉原~麻野商店~武器商店~めいどりーみん本店~秋葉原ガチャポン会館~ベンガル~OLコンセプトカフェエイトスタイル~カフェメイリッシュ~オタク向け美容室OFF KAI~平成レトロ専門店夢織屋~とんかつ檍のカレー屋 いっぺこっぺ 秋葉原店~芳林公園、滝沢馬琴旧居~昌平小学校~神田寺~秋葉原ジャンク通り~鉄道居酒屋LittleTGV~幕末男装喫茶 誠酒屋~牛丼サンボ~秋葉原ディアステージ~九州じゃんがら 秋葉原本店~ごはん処 あだち~上海問屋 (ドスパラ~まんだらけコンプレックス~石くら~e-sports SQUARE~JAM Akihabara~金澤町町名由来~ポポンデッタ秋葉原店~京楽産業.東京ビル~明神下 神田川~アキバ絶対領域~箸勝本店~チチブ電機跡~あっとほぉーむカフェ~アキバギルド~田中すだれ店~すーぱーぽてと~千石電商~廣瀬無線本社~赤津加~Models IMON 秋葉原店~めいどりーみんひみつきち~スターケバブ秋葉原本店~ツクモパソコン本店~講武稲荷~丸五~秋月電子~伊勢丹発祥の地~味の萬楽~松住町架道橋~昌平橋~ヤマギワリビナ本館 跡~石丸電機本館跡~ロケット~東京ラジオデパート~筋違御門跡~紀伊国屋~地下鉄万世橋駅跡~ラオックス秋葉原本店~キュアメイドカフェ~オノデン~ラブメルシー~秋葉原駅

打ち上げ 新時代秋葉原本店
二次会  ビーフキッチンスタンド アパホテル秋葉原店.





1月26日(日)江戸の華、吉原の核心に迫る

第579回 2025年1月26日 開催場所 吉原

地元ガイド佐藤さんの案内で回る山谷、吉原ガイド。今年は大河ドラマ「べらぼう」の影響を受けて女性の参加者が多い。南千住駅をいつもと同じく13時にスタートします。回向院、延命寺で小塚原刑場の話を聞き、陸橋を越えて泪橋へ。泪橋からマンモス交番へいろいろなエピソードを交えて話をしていきます。いつもとコースを変えて大河ドラマ主人公蔦屋重三郎の墓碑がある正法寺を訪れました。山谷堀を遡り、土手の通りに出て中江と伊勢屋。見返りの柳から江戸時代と変わらぬ道を通って大門へ。お歯黒どぶと吉原の高低差の痕跡を確認しながら現代のソープ街を通り耕書堂。大河ドラマ放映中だけの期間営業か?見学タイムを設けて吉原神社へ。カストリ書房でも見学タイム。鷲神社では小休止を兼ねてお参り。飛不動、一葉記念館を経由して浄閑寺へ。しかし冬の間は16:30閉門と、閉門時間が早まっているので中に入れず門前で投げ込み寺のお話を聞きました。今の風俗街と同じように江戸時代の吉原を見てしまうと本当の吉原の姿は見えてきません。悲しい歴史も華やかな歴史もあったことを多角的に見て行かねばならないことでしょう。三ノ輪駅近くで終了。打ち上げは下町らしいもんじゃ。もんじゃの鉄板で食べるアヒージョや味噌焼きを楽しみました

南千住駅→回向院・延命寺→陸橋経由(小塚原処刑場跡・隅田川貨物駅)→日本堤交番→正法寺→山谷堀→日本堤通り→大門跡地→お歯黒どぶ跡→吉原公園→区割り痕跡案内→耕書堂→江戸町通りを仲ノ町通りへ→吉原神社→弁天公園→カストリ書房→鷲神社→飛不動→一葉記念館(案内)→浄閑寺→三ノ輪駅

打ち上げ 美乃和
二次会  ten10


1月19日(日)古隅田川埼玉完結編

第578回 2025年1月19日 開催場所 岩槻、春日部
古隅田川(昔の利根川)の流路を辿るまちあるき埼玉編の最終回。これまで春日部の古利根川合流点から元荒川の分岐点や山城堀の源流点だった黒浜沼まで歩きました。今回は江戸時代以前の元荒川までの合流点まで古隅田川の流れを辿り歩く最終回となりました。日没で歩ききれないと困るので本来ならゴールと言うべき古隅田川、元荒川合流点からスタートし東岩槻駅まで歩くと言うコースにしました。最寄りバス停上飯塚のセブンイレブン飯塚店集合。一度、元荒川を大野島水管橋で対岸に渡ります。この橋は水道管の上に人道橋を通してある珍しい橋です。古隅田川と元荒川の合流点は氾濫原であったと思われる一面の田んぼで何も残っていませんが、元荒川の堤の上から見ると古隅田川の自然堤防が流路に沿って残っていることが遠望できます。古隅田川(旧利根川)の対岸であったこちら側は元下総国、新方領と言われ、利根川東遷で利根川の流路が変わり下総国葛飾郡から武蔵国埼玉郡に編入された地域です。参拝客が多い武蔵第六天社も下総国一宮香取神社を合祀しています。末田須賀堰は周辺の農業用水に水を送るために水をためる大きな堰です。江戸時代からここに堰がありますが現在はコンピューター制御の立派な堰になっています。再び堰の上を歩き元荒川を越えて対岸へ。少し史跡散歩。古道の周りには石仏や古刹、古社が続きます。末田鷲宮神社は周辺が久伊豆神社が多い地域なのに鷲宮神社なのは珍しい。少し寄り道をしましたが、また元荒川を越えて古隅田川の旧路を辿ります。ここは金山堤と言われる自然堤防が流路に沿って残っているので流れを特定できます。古隅田川が造った自然堤防に集落と鎮守様。鎮守様はどこも下総国であったことを示す香取神社です。鎮守様は残っていますが別当寺であったお寺は明治の廃仏毀釈の影響を受けてほとんど残っていません。春日部市増田新田周辺はチェーン店を中心ですが食事のできるお店が何軒もあるので、個々に分かれてランチタイム。午後はまた金山堤に沿って古隅田川を辿ります。これまで巡ってきた鎮守様は香取神社でしたが大野島村だけは鎮守が神明神社。元荒川と古隅田川に挟まれた島なので武蔵国側だったのかと色々と想像をしてみたり。この付近でも古隅田川と元荒川の合流点がありました。ここから先は前回歩いたコースと同じになります。大光寺を越えると自然堤防だけでなく暗渠が現れます。少し歩くと開渠になります。旧旧古隅田川ともいえる流れです。細流にはなっていますが、ずっと川沿いに自然堤防が続いて行きます。開発が進んで自然堤防が壊されている部分もあります。古の川の流れの痕跡ですからこのままの形で残してもらいたい。やがて旧古隅田川との分岐点が現れるので、今度は旧古隅田川に沿って歩きます。捷水路(ショートカット)が本流となっているので水の流れは少ししかありません。東岩槻駅に近づいてくると、1級河川古隅田川起点の碑があります。山城堀の水がここで古隅田川と名を変えて古利根川へ流れていきます。元荒川からの流れは水門が閉じたままになっています。旧古隅田川には水が流れていません。ここが今回のゴール地点になります。中世から現代まで何度も流れを変えてきたので頭の中でこんがらがっているかもしれませんが、資料に図説を載せたので変遷を見比べてもらえると嬉しいですし、また改めて解説いたします。17時少し前に終了しました。終了後は憩居酒場えんにて新年会。個室の座敷でのびのびと飲ませてもらいました。当会25年目にふさわしい新年会となりました

上飯塚~元荒川~大野島水管橋~大野島の道標~普門院墓地~古隅田川合流点(推定)~武蔵第六天神社~川魚料理店~木力館~須賀用水~末田須賀堰~末田須賀堰竣工記念碑、架橋記念碑~キタミソウ自生地~永代橋~定杭~末田用水取水口~改良樋管記念碑~石仏~百堂供養塔~堰安全祈願碑、旧岩槻道~田口物産~末田の地蔵道標~金剛院~末田鷲宮神社~庚申塔~蔵心寺~新方須賀香取稲荷神社~薬師堂~石仏~金山堤~大谷香取神社~石仏~大谷道祖神群~石仏~大口香取大明神~鎌倉街道~正福寺跡、川通村役場跡~旧正福寺跡墓地~慶伝塚と松の木様~新方川~増長香取神社~薬師堂~共同墓地~大野島神明神社~長宮香取神社~石仏~石塔~庚申塚~岩槻城移築本丸車橋門~北斗星~大光寺~浅間大神、香取神社~おっぽり池~増野川~弁慶水鏡の池~長宮砂丘~大光寺堤~南平野公園~旧古隅田川合流点~隅田家~1級河川古隅田川起点~上豊川~山城堀~さいたま市ふれあいプラザいわつき~東岩槻駅

ランチ  春日部市増田新田付近で個々に
打ち上げ 憩居酒場えん