12月17日(日)古地図で山手線各駅 神田編

第555回 2023年12月17日 開催場所 神田

ショート散歩開催の要望多く、山手線各駅を半日で紹介するまちあるきを企画しました。第1回目は「神田」です。神田駅東口を13時にスタート。101年続く和菓子店の三原堂前のガードは上白壁橋通りの名の通り江戸時代は川が流れていました。謄写版発祥の地(ガリ版印刷)から神田の北へ向かいます。千代田区には町会ごとに旧町名と江戸時代の地図を紹介するモニュメントが建っています。徳力は300年以上前から続く両替商がルーツの企業です。いくつかのお店を紹介しながら千桜小学校跡。この付近には千葉周作道場玄武館、東条一堂跡瑤池塾跡がありました。そこから和泉橋へ。神田川は越えません。この辺りは江戸時代は古着屋が多く、そこから既製服問屋街となって現在に至っています。柳原土手を歩きます。ここは看板建築、銅板建築の宝庫だったのですが今は2軒しか残っていません。近代建築のビルも取り壊され寂しい限りです。柳森神社にお参りして謎の自販機スポットへ。奥氏が謎自販機で購入したものは590円で、コアラのマーチにポエムが付いてました。万世橋まで来ると秋葉原の賑わいはすぐそこですが、今回は神田編なので川沿いを歩いて昌平橋。今は無くなってしまいましたが筋違見附の見附門があり中山道が通っていました。交通の要衝でもあり、明治に入ると甲武鉄道の万世橋駅や都電の多くの路線が集まるターミナルとなり、東京随一の繁華街となりました。
その名残として東京を代表するような老舗や美味しいお店が須田町、淡路町界隈に集まっています。道路を越えると多町、内神田へ。こちらは江戸時代から関東大震災まで東京を代表する青果市場があったところで、市場関係者が多く住んでいた場所でもあります。こちらも老舗が多く、お稲荷さんもたくさん。ネーミングライツ的に神田駅の副駅名になったり発車サイン音が商品のCM曲となったアース製薬やその親会社たる大塚製薬など製薬会社の本社も多いです。国の登録文化財に指定されている松本家の建物など古い建物を多く残っていた地域ですがだんだんと減りつつあります。時間があれば日本橋方面の神田南西部も行こうかと思ったのですが暗くなってきたので次回に行くこととして神田駅で終了しました。忘年会は居酒屋のむずで3時間飲み放題の楽しい宴会。二次会まで楽しく過ごして年内のイベントは全て終了しました。
神田とは 家康の江戸入府以来の江戸城の城下町。多くの職人が住む江戸っ子の元祖下町。江戸~東京の青果市場があり、既製服問屋街あり、明治~昭和にかけては東京随一の繁華街として栄えた名残として老舗の美味しい店が多く、製薬会社の本社も多い。そんな神田駅北東部でした

神田駅~三原堂~上白壁橋通り~六花界~鍛冶町二丁目(町名)~浅田飴本社~謄写版発祥の地~今川中学校跡~神田北乗物町~神田紺屋町北部(町名)~徳力~かんだ光壽~からしび味噌らー麺鬼金棒神田本店~神田富山町(町名)~神田東松下町(町名)~椎橋すだれ店~豊島~千葉周作道場玄武館、東条一堂跡瑤池塾跡~千桜小学校跡~神田須田町二丁目(町名)~山崎製パン本社~岩本町駅~柳原土手跡と和泉橋~和泉橋~北原ビル跡~海老原商店~岡昌裏地ボタン店~柳森神社~神田ふれあい橋~謎の自販機スポット~万世橋~肉の万世本店~万惣跡~眠庵~神田須田町一丁目~日本最古の地下街~鷹岡~まつや~トプカ~山本歯科医院~出世稲荷~交通博物館跡~ラジオガァデン~旧万世橋駅跡~御成道 筋違門跡~昌平橋~神田川お茶の水分水路(吐口~松住町架道橋~淡路坂~神田須田町、淡路町界隈~ワテラス~かんだやぶそば~ショパン~東京豆花工房 ~下久~竹むら~いせ源~けむり~ぼたん~小林雅尚堂~神田連雀亭~神田雲林~六文そば須田町店~工藤探偵事務所跡(旧同和病院)~連雀町、佐柄木町町名由来碑~アナンダ工房神田須田店~松林舎~松栄亭~松竹庵ます川~近江屋洋菓子店~第一KSビル跡~麺巧 潮~神田志乃多寿司本店~延寿稲荷~神田市場(町名)~神田青果市場発祥の地~とんかつやまいち~庄之助最中~小山弓具~ジンコック~豊潤稲荷~志村印刷~斎藤月岑居宅跡(生誕の地)~大塚製薬本社~真徳稲荷~千代田小学校~八ツ手屋~和光稲荷跡~アース製薬本社~松尾神社~五ノ神水産~一八稲荷~サカエヤクリーニング店~大信不動産跡~多町二丁目(町名)~青果 塩栄~鳥正~松本家住宅~福尾商店~カレーノトリコ~鍛冶町三丁目~大木製薬 ~神田きくかわ~神田尾張屋本店~神田駅

忘年会 のむず
二次会 串カツ田中神田店


11月19日(日)旧古隅田川 武総国境を歩く

第554回 2023年11月19日 開催場所 春日部~岩槻

古隅田川シリーズです。今回は古隅田川のさらに旧流である旧古隅田川を歩きました。八木崎駅をスタートし、春日部八幡神社。粕壁宿や新方領の総鎮守、中世の武士春日部氏の居館跡であり、春日部稲荷を始めとする境内社や末社も多く。巨大な浅間山もあり、古隅田川によって造られた浜川戸砂丘の存在も確認できる。古隅田川に沿って歩き、以前に見学した場所なども立ち寄る。栄橋からは捷水路(ショートカット)が造られたため廃川となった旧流を歩きました。大きく蛇行した古隅田川に囲まれた地域は新方袋と言われましたが、今は工業地帯になっています。16号線に沿って歩くと、旧流は大きく曲がり暗渠となります。ここからは自然堤防も残り緑多く、古隅田川が大河であった川幅や水の勢いで造られた自然堤防の様子などがわかります。埼玉の古隅田川にも在原業平や梅若伝説が残ります。旧流は古隅田川に再び合流。古隅田川に沿って歩きますが、前回は右岸を歩いたので今回は左岸を歩いていきます。ずっと自然堤防が残っているのが嬉しいですね。ここでも古隅田川が大河であった痕跡を感じ取ることができました。上院調整池の近くで古隅田川と旧古隅田川が分岐します。現在の古隅田川は昭和に入ってから造られた捷水路。元からの流れは旧古隅田川です。分岐点や埼玉県最古の橋やじま橋が架かっていた地点を見て旧古隅田川に沿って歩き11:45に豊春駅到着でランチタイム。午後も旧古隅田川に沿って歩きます。東京にもある業平橋、旧村名を冠した南中曽根八幡神社、武総国境であった証の増冨香取神社を見学。旧古隅田川はその先で分岐します。右手は江戸時代に山城堀に繋ぐために掘られた水路で現在の旧古隅田川です。これを辿れば古隅田川と繋がり山城堀へと遡って行きます。左手の水路が中世からの流れで旧旧古隅田川というべきでしょうか?我々は旧旧古隅田川の方を辿ります。地蔵の伝説がある浄泉寺、増戸村の鎮守だった増戸神明神社を見学。旧旧古隅田川はやがて暗渠となりますが川の流れに沿って大光寺堤のグリーンベルトが続いています。洪水の調整池を兼ねた南平野公園で小休止。国道16号をかなーり遠回りして弁慶水の池、大堀池。これらはおっぽり池と言い洪水の痕跡でできた池だといいます。大光寺は義経、弁慶の伝説あり、古隅田川に沿って奥州古道が通っていたので平泉に落ちる義経一行が立ち寄った伝説があるのでしょう。少し進むと荒れてしまった庚申塚や、民家に移築された岩槻城の城門があります。この辺りは公共交通機関がありません。16時を過ぎて日が暮れかかってきたので余力を残して東岩槻駅に引き返すことにしました。途中、運送会社に保存されている寝台特急北斗星や、立派な建物の西福寺、平野村の鎮守、南平野稲荷神社を見学。東岩槻駅近くの路上で16:45に解散しました。打ち上げは有名ラーメン店オランダ軒の前にあるえん。個室もあり、食事も美味しく、従業員も良い子達だったので楽しく終了できました

八木崎駅~春日部八幡神社~春日部稲荷神社~浜川戸砂丘~春日部氏館跡~浅間山~薬師堂~顎で喰らえ~古隅田川~浜川戸橋~隅田橋~梅田雷電神社~梅田落~栄橋~古隅田川旧流~かえで通り~旧流路~満蔵寺~名無し橋~藤盛稲荷神社~豊春用水~城殿宮橋~古隅田川排水改良事業記念碑、土地改良記念碑~古隅田川自然堤防~上院落~上院調節池~旧古隅田川分岐点~やじま橋~川面橋~地蔵院~豊春駅~業平橋~南中曽根八幡神社~道順川戸橋~増冨香取神社~山城堀への分岐点~浄泉寺~増戸神明神社~南平野公園~大光寺堤~増野川~弁慶水鏡の池~大堀池~浅間大神~大光寺~庚申塚~岩槻城移築本丸車橋門~北斗星~西福寺~南平野稲荷神社~東岩槻駅

ランチ 豊春駅周辺で個々に
打ち上げ 憩居酒場えん


11月5日(日)天空集落御岳山ハイキング

第553回 2023年11月5日 開催場所 御岳山周辺

カズオ君ガイドで御岳山周辺のハイキング。御嶽駅からバス、ケーブルカーを使って御岳山に上ります。バスやケーブルカーは混雑したものの山に上がるとそれほど混雑もなく山の景色を楽しみました。御嶽メロンパンを冷かし、リフト組と徒歩組に分かれて産安社へ。夫婦円満や良縁に霊験のある夫婦杉をぐるぐる回り、御岳山頂を目指します。文化財にも指定される宿坊の重厚な建物や山上の商店街などを見ながら御嶽神社に参拝。この会でも何度か訪れていますが、何度来ても良いですね。狼信仰があるのでわんこ連れの参拝者が多い。神社最奥の奥宮遥拝所が御岳山頂。少しだけ達成感あり。ここからは本格的なハイキングコースで山道を歩きます。日の出山では山から地上の風景を見ながらランチを楽しむことができました。山の稜線を上り下り、時には木の根を乗り越えながら山道を堪能します。時折、眺めの良いところで小休止。後半は疲れてくる人もいて「まき道」を使ってショートカットする人と分かれたり合流しながら歩きました。琴平神社を過ぎあとはずっと下りでしたが、体力に限界が来てしまった人もおり、二手に分かれて無事に吉野梅郷に全員下山しました。日向和田駅まで歩き、有志は青梅駅まで電車移動し、青梅麦酒というクラフトビールのお店で打ち上げ。美味しいクラフトビールは山での疲れを癒してくれました

御嶽駅~(バス)~ 滝本駅~(ケーブル)~御岳山駅~大展望台(リフト)~産安社~馬場家住宅など宿坊~御嶽神社~御岳山~日の出山~三室山~琴平神社~吉野梅郷~日向和田駅

ランチ 日の出山頂上
打ち上げ 青梅麦酒


10月22日(日)お江戸日本橋へ猛ダッシュ、鮮魚街道と新田開拓

第552回 2023年10月22日 開催場所 我孫子市

奥さんの我孫子シリーズ。今回は我孫子市の最南端、新木~布佐といった地域を歩きました。新木駅を9時にスタート。新興住宅地側の駅舎の方が立派ですが小さな出口の方に街道や銀行の支店があります。立派な彫刻のある長福寺、日本の気象学の父と言われる岡田竹松博士ゆかりの気象台跡に造られた気象台記念公園、布佐大観音道と回り、現在では所在地不明となっていた頼朝の松跡でしたが偶然地元の古い方に話を聞くことができて場所が判明。ラッキー!浅間神社、当地の開発の中心となった旧井上家住宅を見学。昔の建物や蔵が残りとても重厚。ミステリと言う勿れの撮影現場になったということで、写真展が開かれていたのですが、開催期間延期になっていたので見学することができました。ワイルドに歩きながら柿を食べて喉を潤す。広大な布佐市民の森の端部をかすめ、碑しか残っていない布佐一里塚跡、これも標識のみの余間戸公園遺跡、稲荷神社、手賀沼を干拓してできた相島新田、明治時代から収集された布佐文庫の書籍を見て布佐駅近くの紅龍閣布佐店でランチ。ここが当たりで安くてボリュームあり、紹興酒も美味しかったです。午後は布佐城跡、寺社を巡っていくが低地はかつての香取海から手賀沼になって行った低湿地、高台には寺社が連なっています。利根川を越えるとすぐに茨城県利根町、利根川と小貝川の合流点も近い。岡田竹松邸跡は近隣センターふさの里になっているが管理されている方々から岡田竹松博士の事績の話を聞く。松岡邸は柳田国男が住んだ家で竹松博士とも青年時代に交流があったようだ。榎本邸から布佐河岸の繁栄がうかがわれる。銚子で獲れた鮮魚がここまで船で運ばれ、早馬で松戸まで送られ、また船に載せられ江戸に到達し、江戸市民が美味しい鮮魚を食べられたという鮮魚街道も成田線の線路の部分でいったん断ち切られている。布佐駅に戻って時間に余裕を残して終了。手賀沼の干拓、日本の気象の父岡田博士の事績、なかなか行く機会のない布佐付近の歴史に触れ、ラッキーなことも多く楽しく街を歩くことができました。有志のみ我孫子駅で下車し、いつもの志ぶやへ。しゃぶしゃぶ食べてお酒を飲んで一人2600円。安い!

新木駅~長福寺~気象台記念公園~布佐台観音堂~頼朝の松~浅間神社~旧井上家住宅~布佐市民の森~布佐一里塚跡~余間戸公園遺跡~稲荷神社~相島新田~布佐文庫~布佐(和田)城跡~宮ノ森公園~武内神社~勝蔵院~延命寺~布佐愛宕八坂神社~356国道と利根水郷ラインの接続道~岡田竹松邸跡(近隣センターふさの里)~松岡(柳田)邸~榎本邸~布佐観音堂~布佐河岸跡~網代場跡~鮮魚街道~布佐駅

ランチ  紅龍閣布佐店
打ち上げ 志ぶや


10月8日(日)震災100年秋を感じる隅田川

第551回 2023年10月8日 開催場所 隅田川
以前にも行った隅田川を河口まで歩く企画でした。以前に吾妻橋から岩淵水門まで歩いたので、今回の吾妻橋から河口まで歩けば隅田川踏破です。今回は関東大震災100年ということで、秋らしさを感じながら川沿いを歩き震災復興で近代都市に変貌した東京のインフラなども見ていこうという趣旨でした。浅草駅を9時に出発。浅草界隈の説明をしながら震災復興で作られた都市公園隅田公園から隅田川河畔に降ります。まず東武伊勢崎線隅田川鉄橋。土木学会田中賞の名の由来となった田中豊が隅田川両岸の隅田公園の景観に配慮してデザインした橋です。黄色いアレが載ったフラムドール。アサヒビール直営では無くなってしまうそんな話をしながら一番最初の吾妻橋を渡ります。ここも震災復興で架けられた橋。真っ赤な橋なので印象的です。隅田川の震災復興橋はどれも日本初、日本最大といったもので、これを機に日本の橋梁技術が世界有数のものになりました。川沿いは秋らしい気候で気持ち良い。駒形堂が名の由来の駒形橋。ここより上流は観音様由来の地で漁ができなかったため、この付近には川魚料理店が多かったそうで有名ウナギ店などあるのはその名残かと。中路式という形式は日本初。次の厩橋は隅田川唯一の三連アーチ。御厩河岸に由来し馬のレリーフや個性的なトイレが面白い。今回はあまり寄り道をしない予定でしたが横網町公園にだけは立ち寄ります。東京都復興記念館、東京都慰霊堂に立ち寄り、震災、戦災の被害を知ると共に亡くなった方への冥福を祈り、後藤新平(復興局総裁)のスケールの大きさ、太田圓三(復興局土木局長 震災復興の責任者)の想いを感じました。浅草御蔵に由来する蔵前橋は黄色い橋。旧蔵前国技館があったので相撲のレリーフ。人の渡れない蔵前専用橋は通信千トンネル専用橋としては日本初。総武線隅田川鉄橋は田中豊の設計でランガー桁を使った日本初の橋。石塚稲荷の玉垣には柳橋の料亭の名前がずらり。神田川を渡って、赤から黒に塗り替えられた両国橋を渡ります。三大ゲルバー橋と呼ばれた架橋当時最先端技術の橋でした。両国駅付近でランチタイム後、再び両国橋を渡って歩きます。高速道路専用の両国大橋は独創的な構造で土木学会田中賞を受賞している。新大橋は昭和52年に架けかえられているが、その前の橋は震災、戦災でも落ちなかった名橋でもある。小名木川を万年橋から渡る。支流にも震災復興の重厚で美しい橋が架かる。清洲橋は本当に美しい。都道府県の道路橋として初めて国の重要文化財に指定されている。隅田川大橋は昭和の後半に架けられたので機能優先でデザイン性に欠けるが橋からの眺望が美しい。日本橋川河口の豊海橋は先代両国橋の一部が使用されている。永代橋の先で隅田川は二又に分かれるが隅田川派川の方には相生橋が架かる。今回は行けませんでしたが。永代橋は現存最古のタイドアーチ橋かつ日本で最初に径間長100mを超えた橋でもある。次の中央大橋は平成になって架けられた橋でフランスの会社によってデザインされた。佃島の街並みを歩き佃大橋へ。高度経済成長期に欠けられた橋なのでデザイン性に欠けるが、大ブロック工法という高度経済成長期を象徴する工法で架けられた。勝鬨橋は中央が開く構造を確認しながら渡ります。ここも重要文化財。隅田川最後の橋は令和になってから開通した築地大橋。その先には竹芝桟橋や浜離宮が見えます。ここまで来るとどこまでが隅田川で、どこからが海なのかよくわかりません。豊海水産埠頭の先端に行き、隅田川が完全に海と交わったと思える場所をゴールとしレインボーブリッジを眺めました。本来であれば築地大橋を渡って新橋まで行く予定でしたが、日没が近くなってきたためこちらで解散とし、バスで東京駅へと向かいました。有志のみ銀座で降りて新橋の激安居酒屋で打ち上げをして帰りました。隅田川から東京の都市デザインを見て、100年近く経っても現役バリバリの美しい橋、感じるものがたくさんありました。夜に歩いても、今回の対岸を歩いても見えてくるものが違うので何度歩いても隅田川は楽しめるでしょうね

東武浅草駅~神谷バー~東京メトロ浅草駅上屋~隅田公園~東武伊勢崎線隅田川橋梁~源森川水門、北十間川~墨田区役所~アサヒビールタワー~アサヒビールホール~吾妻橋(竹町の渡し跡)~海老屋~あづま地蔵~駒形橋~駒形堂~うなぎ前川~うまやの渡し跡~厩橋~厩橋際公衆トイレ~ライオン本社~エポック社~割烹 吉葉~横網町公園~東京都復興記念館~東京都慰霊堂~蔵前橋~浅草御蔵跡~蔵前国技館跡~首尾の松~蔵前専用橋~総武線隅田川橋梁~日本文具資料館~石塚稲荷~小松屋~亀清楼~柳橋~神田川河口~両国広小路~両国橋~ちゃんこ川崎~両国駅舎~ももんじや~大高源吾の碑~百本杭~表忠碑~両国大橋~竪川~新大橋~新大橋親柱~小名木川~万年橋~川番所跡~芭蕉稲荷~正木稲荷~芭蕉庵史跡展望公園~清洲橋~仙台堀川~箱崎川~隅田川大橋~豊海橋~大横川~相生橋~永代橋~船員教育発祥の地~霊岸島量水標跡~中央大橋~石川島~佃島~佃川支川~住吉神社~佃小橋~佃島渡船場跡~佃大橋~聖路加病院~勝鬨橋~築地市場跡~かちどき橋の資料館~勝鬨橋記念碑 ~かちどきのわたし碑~海軍経理学校跡~ニチレイ本社~新月島川~浜前橋~築地大橋~勝どき見晴らし公園~THE TOKYO TOWERS~浜離宮、竹芝、芝浦の風景~豊海水産埠頭~隅田川の先端~豊海水産埠頭バス停

打ち上げ 新時代44新橋銀座口2号店





9月18日(祝)埼玉の名城鉢形城と松山城を歩こう!

第550回 2023年9月18日 開催場所 寄居町~吉見町

山本さんガイドによる埼玉の名城巡りイベント。東武東上線の終点寄居駅集合。なかなか来るのも大変だった人も多かったかと思います。10時半に出発。駅前の観光施設yottecoでお弁当を買ったり特産品を見たりします。駅前から歩いてほどなく荒川の峡谷に差し掛かり眼前に鉢形城が聳えています。鉢形城は荒川が峡谷から関東平野に出る場所の築かれています。七世松本幸四郎別邸跡の公園から遊歩道に降りて荒川から鉢形城を見上げればその迫力がわかります。橋を越え鉢形城城址へ入っていきます。さすが戦国時代関東の覇者北条氏の北関東の拠点だけあって規模が大きいです。曲輪や空堀、土塁なども整備されていて歩きやすくわかりやすい。資料館を見学しながら同時にランチタイム。寄居駅まで移動しましたが一部遅れが出てしまったので先発隊は吉見百穴を見学。後発隊と合流後に松山城に入りました。松山城も北条氏の関東での重要な拠点の一つ。上杉から寝返り北条氏の家臣となった上田氏が守っていました。松山城は観光地や史跡として見学の整備はされておらず野に帰っている部分もあり吉見町にはもう少し整備をお願いしたいところ。蚊も多く、主郭や城内を一回りして戻りました。今回も山本さんのご案内と実踏を合わせとても学ぶことが多かったです。東松山駅に戻り有志で打ち上げは東松山名物のやきとり。有名店のひびきで飲んで食べて終了となりました。

寄居駅~鉢形城~鉢形城歴史館~寄居駅~(電車移動)~東松山駅~(バス、タクシー移動)~吉見百穴~松山城~東松山駅

昼食 鉢形城歴史館の四阿屋
打ち上げ ひびき庵別館東松山駅前3号店


9月16日(土) 妙典バーベキューと行徳ショート散歩

第549回 2023年9月16日 開催場所 行徳、妙典

1年ぶりに懇親を兼ねたバーベキューでしたが、バーベキューの前に行徳をショート散歩。行徳は江戸の塩を担う一大産地であり、江戸に物資を運び、また江戸から成田山への参拝者がやってくる舟運の一大ターミナルでした。行徳駅を9時にスタート。行徳駅開業当時の何もなかった頃から駅前の発展を見守ってきた弁天様を詣で、旧江戸川の方に進みます。江戸時代以前から集落が開けていたのは江戸川沿いに近い場所でした。行徳街道沿いには昔ながらの古い建物が多く残っています。徳川家康も通ったというさらに古い権現道には多くの寺社があり寺町を形成しています。多くの寺社があるということは行徳の豊かさを象徴していることでしょう寺社の多くは戦国時代に創建されています。江戸時代から続く老舗や旧家の建物が多く残ります。お神輿の製作も行徳の主要産業の一つでした。常夜燈は船着き場の跡。多くの旅人が行き交ったことを旧江戸川を眺めながら思い浮かべました。見どころ満載の行徳でしたがバーベキューの開始時間に間に合わさねばならないので2時間半でショート散歩は終了。準備を開始していた妙典の江戸川河川敷にあるバーベキュー場でバーベキュー組に合流します。バーベキューの参加者は東京再発見の参加者のみならず各方面から。約40名で行いました。飲んだり食べたり話したりで懇親を深めるのも楽しかったですね。新しいお友達や仲間ができたのではないでしょうか?16時には完全撤収して、二次会、〆ラー(という名の三次会)と楽しい時間を過ごして解散となりました。

行徳駅~行徳弁天 弁天公園~法伝寺~押切稲荷~行徳街道~行徳河岸~湊水神宮~ぽっくり蛙、田中稲荷~光林寺~おかね塚~清岸寺~伊勢宿豊受神社~徳蔵寺~馬頭観音~関ヶ島胡録神社~旧浅子神輿店、市川市行徳ふれあい伝承館~教信寺~加藤家住宅主屋、煉瓦塀~笹屋うどん店跡~行徳新河岸~常夜燈~排水機場(入り江)~田中邸~澤木酒店~本行徳八幡宮~小御嶽神社~本久寺~本行徳神明宮~横町稲荷~馬頭観音~権現道~正讃寺~浄閑寺~円頓寺~法善寺~本塩豊受神社~妙覚寺~法泉寺~妙頂寺~長松寺~妙応寺~常運寺~徳願寺~清寿寺~妙典春日神社~成田街道~上妙典八幡神社~妙好寺~妙典バーベキュー場

二次会 はなの舞 妙典店
三次会 れんげ食堂 Toshu 妙典店


8月27日(日)どうする越ケ谷―家康ゆかりの宿場町を歩く

第548回 2023年8月27日 開催場所 越谷

徳川を楽しむ会斉藤さんガイド。前回草加に引き続き越谷の越ケ谷宿を歩きました。13時に越谷駅を出発。越谷市の物産を販売するガーヤちゃんの蔵屋敷に立ち寄ります。ガーヤちゃんとは越谷のキャラクター。地方の観光都市並みにオリジナルグッズや商品が多くて驚きました。欲しくなるものもいろいろ。旧日光街道に出ると古い建物が多く残っています。草加や春日部より多いのではないかな?古い建物が多く残っているのは嬉しい。その中ではかり屋とまち蔵は地元の不動産会社POLUSが古い建物をリノベーションして商業施設として利用して活用している。古い建物も残るし、商業施設は人を呼び地域貢献にもなるのではと感心しました。越ケ谷宿を堪能して、しばらく歩いて大聖寺を見学します。ここは越谷で最も古いお寺。住職からお話を聞けてこの地域やお寺の歴史を学びました。家康の寝巻は本物は見られませんでしたが、お寺の内部まで見られたり、境内の様々な史跡を見学できて満足でした。小休止してから進みます。元荒川、葛西用水と江戸の水利を知る上でも大事な場所ですね。葛西用水に沿って北上すると越ケ谷御殿の跡。徳川将軍家の御殿があったと推定される場所。今は碑があるのみ。次に越谷久伊豆神社を見学。武蔵国でも元荒川周辺のこの地域は久伊豆神社の信仰が盛んでした。越谷の総鎮守という立派なお社でした。次に越谷香取神社。越谷市内にはかつて武蔵国と下総国の国境がありました。下総国一之宮の香取神社もあるのが面白い。風車や風鈴が設置してあってSNS映えしそうな風景が拡がっていました。北越谷駅まで移動してゴール。有志で打ち上げでしたが徳川を楽しむ会幹事長が面白い人で最後まで楽しむことができました

越谷駅東口→ガーヤちゃんの蔵屋敷→木下半助商店→はかり屋→岡埜製菓店→まち蔵→大聖寺→元荒川、葛西用水→越ヶ谷御殿跡碑→建長元年板碑→久伊豆神社→香取神社→北越谷駅

打ち上げ 満天酒場 北越谷店


8月20日(日)夏の川あるき 横浜二俣川を歩く

第547回 2023年8月20日 開催場所 二俣川

大変遅くなりましたが二俣川の報告です
帷子川の源流をたどるシリーズの最終章となりました。前回は帷子川源流まで歩いたのですが、もう一つの大きな支流である二俣川を遡ってこのシリーズ終了と致しました。鶴ヶ峰駅スタートはもう3回目。以前歩いたコースと重なりますが、お神輿など出ていてまた違う雰囲気。畠山重忠が討たれた場所が帷子川と二俣川の合流点になります。以前は大きく蛇行していた帷子川ですが直線化が図られ1988年にトンネルができてそちらを流れるようになって旧流路は廃川となりました。今の二俣川は一部を帷子川の旧流路を流れています

合流部分を見学して二俣川を遡っていきます。二俣川には川に沿って道が無いのでつかず離れず時には回り道をします。高梨乳業の本社があり、鎌倉街道や相州道と交錯していきます。やはり古い道は川が造った谷や尾根を利用しているようで、古い道があるところには歴史のある寺社も存在します。

川に沿いながら史跡もめぐっていきます。地域の鎮守や地頭、領主の墓のあるお寺などが続き二俣川が開いた谷を中心に地域が開発されていったことを知ることができます。深い谷を降り川に近づくことができたところが二俣川駅。旭区の中心的な街で免許センターがあり、相鉄線の分岐駅でもあるので乗降客も多いです。こちらで個々にランチタイム。

二俣川駅の近くで二俣川は二俣どころか四手に分かれます。どれが本流かは甲乙つけがたいのですが、どれも住宅地の中の暗渠となって消えてしまいます。一つだけ湧水地があるところを本流と定め、他を支流として午後は回っていきました。万騎が原の丘の上に上がります。元々は牧場を意味する牧ヶ原だったものが、北条勢数万騎が畠山重忠を討つべく待ち伏せていたので万騎が原になったそうだ。畠山重忠に関する碑も建てられている。高台なので谷戸の眺望もよい。南本宿公園は谷戸の谷頭がそのまま公園になっている。

支流の谷に降りていくと、予約必須のピザのお店hectopascalがある。支流を上流にさかのぼる。鎌倉道と大山道の分岐点や上田神明社がある。更に遡ると戸塚カントリー倶楽部の敷地へ。ゴルフ場内に池が見える。今でも水が沸いているのかはわからないが、この辺りが支流の水源と推定される。支流を横切りこども自然公園へ。優しげな名前がついているが公園内に4つの谷戸があり、公園を縦断するのに谷戸を乗り越え、いくつもの丘を越えねばならない。一部は通路が自然に還りかけている。案内板もない。

さまよいジャングルを乗り越えたが時間をロスしたので都塚に行くのをあきらめて大池まで降りる。ここも支流の水源の一つ。ここから少し上ると武相堺道で武蔵国と相模国の国境、分水嶺だ。横浜市内に国境があります。また大池方面に戻ると教育水田。子供たちが田植えをする場所だが昔の谷戸田の雰囲気が残る。大池の畔にはメダカの学校の作曲者中田善直氏が住んでいた縁でメダカの学校記念碑、大池の説明や弁天様がありました。

大池の谷から一山越えて別の支流の谷へ。ここも二俣川源流の一つと言えます。支流に沿って谷を下ると万騎が原の高台に上る前に通った半ヶ谷橋に戻ります。ここで二俣川は四手に分かれるのですが、どれも独自の谷を形成し源流へ遡れます。しかしそのうちの3つは住宅地の中に水源地が消えてしまっているので最後までたどれません。唯一、水源地が残る方を本流として遡ります。水源地は残るとはいえこのルートは川自体が暗渠化されてしまっているので、暗渠をずっとたどっていきます。暑さにへばりそうになりながら希望ヶ丘水の森公園に到着。ここには谷戸と水源の池が残っています。帷子川のもう一つの水源地ですね。いつまでも残してもらいたいものです。17時を回ってしまったのでここで終了。一山超えて、もう一つの支流の谷の方に希望ヶ丘駅があります。帷子川シリーズを終えて希望ヶ丘駅にて解散。有志で地元個人店の串揚げなどを肴にビールでクールダウンしました

鶴ヶ峰駅~水道道~鎧橋跡~帷子川旧流~鶴峰橋~鶴ヶ峯稲荷神社~帷子川捷水路トンネル~重忠公碑、逆さ矢竹~帷子川~旭区役所~下川橋~二俣川~合流点付近の歴史~三合橋~鎧の渡し、首洗い井戸~首塚~四季美橋~高梨乳業~神奈川坂~鎌倉道~神奈川坂の神明社~支流~石仏~本村神明社~三佛寺~二俣下川駅跡~宮澤学舎跡~支流~浄性院~おかご坂~本村人道橋~二俣川駅~パティスリー クグラパン ジョイナステラス二俣川店~石川橋~半ヶ谷橋~畠山重忠公遺烈碑~万騎が原~谷戸の眺望~南本宿公園~切割神明社~神社~hectopascal~鎌倉道と大山道の分かれ道~上田神明社~支流水源~こども自然公園~大池~武相堺道~メダカの学校歌碑~弁財天、大池の歴史~大歓寺~支流~支流分岐点~長昌寺~南希の森緑地~マルヤ~希望ヶ丘高校~希望ヶ丘水の森公園~希望ヶ丘駅

昼食 二俣川駅周辺で個々に
打ち上げ 串かつ大臣


7月30日(日)江戸・東京の水運・海運の地を歩く

第546回 2023年7月30日 開催場所 東京港などの水辺

太田さんがガイドする江戸、東京の水運、海運をテーマとしたまちあるき。川の上にまたがっている珍しい駅、東大島駅を9時に出発。水陸両用バススカイダックと遭遇しながら中川船番所資料館へ。ここは塩をはじめとする重要な物資や、成田詣で多くの人達が行き交った江戸時代の重要な流通ルートだったので番所が設けられ通行が厳しくチェックされてました。江戸時代の水運を学べる場所です。旧中川沿いを歩きますが真夏にもかかわらず風が強くて天然のクーラーで気持ち良い。旧中川と荒川放水路を繋ぐ荒川ロックゲートでは偶然に船がやってきたのでパナマ運河のような水位調整の閘門操作を一部始終見ることができました。
江戸初期の海岸線であった小名木川は江戸への重要な物資を運ぶ今でいう高速道路のようなものでした。川沿いを歩き、宝塔寺、大島稲荷神社と回ります。真夏の暑い日だったので少し予定を変更してアリオ北砂に到着。ここで自由解散で個々に昼食を食べました。アリオで食べる人砂町銀座まで行く人など。午後はバスに乗って一気に一気に湾岸青海地区までやってきました。TOKYOミナトリエでは東京港の様々なことを学ぶことができました。眺望もよく冷房ありで良かったです。青海南ふ頭公園に降りてガントリークレーンの足元へ。近くで見るガントリークレーンは迫力。そして東京港の資料的な話ではなく実務的な話や観光的な部分ではない裏話など、お仕事で東京港と関わった太田さんから聞くことができて面白かったですね。船の科学館別館展示場と初代南極観測船「宗谷」を見学し、宗谷の数奇な運命に驚いてみたり。当初の予定よりは縮小した部分もありましたが、暑い中、最後まで歩くことができ東京国際クルーズターミナル駅(旧船の科学館駅)で解散となりました。有志で新橋で打ち上げ。日曜だったせいか人気店の魚金に予約なしで入ることができました。

東大島駅~中川船番所資料館~大島小松川公園~荒川ロックゲート~陶首稲荷~小名木川~宝塔寺~大島稲荷神社~アリオ北砂–(バス移動)日本科学未来館~TOKYOミナトリエ~青海南ふ頭公園~船の科学館別館展示場~初代南極観測船「宗谷」~東京国際クルーズターミナル駅

昼食 アリオ北砂や砂町銀座で個々に
うちあげ 魚金総本店(新橋)