第295回 2013年2月16日 開催場所 荒川区生涯学習センター
勉強会は江戸っ子が崇敬する平将門、太田道灌といった武将が名前は知っていても、実際、どんな人で、どんなことをしたのかということは知られていません。2人の事績を知るとともに江戸以前に活躍した二人から徳川時代以前の江戸を考えてみたいと考えていました。江戸時代が好きな人、江戸マニアのような方々も多いのですが、江戸時代以前の江戸のことに興味を持ってくれる人が少ないのは残念に思っていました。江戸は徳川家康によって開けれた新しい町で、それ以前は寒村だった歴史の浅いところだ!なんて言われます。果たしてそうだったのでしょうか。平川河口(現在の神田川、日本橋川)に開けた江戸は河港として物流や交易で栄えていたと思われます。それでなければ太田道灌も徳川家康もここに拠点を築こうとは考えなかったはずです。江戸発展の下地は徳川家康入府以前に出来ていたのです。太田道灌が江戸氏の居館跡に江戸城を築城し、諸社寺を配置し、都市としての江戸の骨格を作り上げました。徳川家康が江戸を本拠地とする際には平将門を祀った神田明神を江戸総鎮守に、太田道灌が勧請した山王日枝神社が江戸城の鎮守とされました(神社名は現在のもの)この二つの神社は江戸市民に信仰され、天下祭りを現在に伝えています。家康がこの二社を江戸統治の中心に据えたということは、江戸のアイデンティティは家康が江戸に入る前からすでに定まっていたと言えるでしょう。徳川家康の功績を讃えたいために、江戸時代の書物は殊更に家康入府以前の江戸を酷く書きますが、都市としての江戸は家康の天下の総城下町になる前から出来上がっていたということでしょう。
勉強会終了後は北千住に移動して千住の永見に行きました。土曜日は15時から営業と聞いていたのですが、平日と同じく15:30からだったので、30分時間つぶしにお店を紹介しながらブラブラ。15:30から1時間飲みました。名物の千寿揚げも食べました。あまりコスパは良くないかな?永見を出たのが16:30になってしまったので徳太和良も天七も入れないので、串焼き1本30円というお店に入りました。ここは奥の座敷を貸切状態で飲めたので寛げました。大はしも臨時休業だったので、タイ料理の有名店ライカノに行こうかと思ったのですが、天七に入れたので串揚げを楽しみました。スタートが早かったので、まだ宵の口だったのですが、私は天七で仲良くなったご夫婦と話しているうちにみなさんとはぐれてしまいました。みなさんは四次会に行かれたようですね。
飲み会 千住の永見 下町再生酒場ももこ 天七・・・・・
参加者 14名