第358回 2015年12月13日 開催場所 田町駅~曙橋駅
江戸に関心のある方は多いと思いますが、どこまでが江戸なの?という疑問も多かったと思います。いまでこそ東京23区は800万人を越える人口を誇っていますが、最初からこのような巨大な人口と領域を持った都市ではありませんでした。東京の前身である江戸の範囲を足で知るために江戸の外周を歩きました。1回で全ては歩ききれないので3回(もしかしたら4回)で歩こうと思っています。今回はその第1回目。スタートを田町駅にしたのは江戸の内からスタートして高輪大木戸を通りたかったから。田町駅を出て江戸の名残を、江戸以前の名残なども感じながら高輪大木戸を越えます。ここも一つの江戸内外の分かれ目の一つではありますが、墨引き、朱引きはまだ先。品川駅の先で品川宿の北端に接します。ここが東京市と郡部の境界線でした。いかにも古道という風の道を曲がると境界は住宅地の中を縫っていきますが、その境界は高地と低地の境界である崖であったり。高地には大名屋敷があり、低地には田や畑が開けていたのでしょうね。境界は高地と低地の狭間。曲がりくねった境界線は谷戸の縁をなぞっていたりします。古社寺は明治と同じ位置に鎮座しています。東京で初めて造られた牧場と屠殺場は閑静な住宅地の中にとりこまれています。目黒駅近く自然教育園の前あたりで個々にランチ。午後は白金台から広尾と歩いていきます。不自然な形の境界線が川の跡であったり。たくさんの川が流れていたことを偲ばせます。青山から表参道を横切っていくと人が多かったですね。いまは建物の中に埋もれた境界線は江戸時代の地図で見ると大名屋敷の区画に沿っていたり、田の中の一本道であったりしました。いまはオシャレな高級住宅地も江戸時代は農地で明治に入ると軍用地であったのでしょうね。境界には団地が多いのも特徴的です。外苑を過ぎるとずっと歩いてきた港区から離れて新宿区に入ります。この先の境界はどちらも新宿区なのですが、東京15区発足時は四谷区と内藤新宿町の境界でした。大正時代に入ると内藤新宿町は四谷区に合併されて新宿御苑内の渋谷川源流が市と郡部の境界に変わりました。江戸と郊外のもう一つの境界である四谷大木戸を通過し、富久町の付近で程よい時間となり解散となりました。忘年会は曙橋商店街の中にある居酒屋でまったりと行いました。
田町駅~勝海舟、西郷隆盛会見の地(薩摩藩蔵屋敷跡)~札の辻~御田八幡神社~成覚寺~高輪大木戸跡~低いトンネル~願生寺~高輪稲荷神社~高輪神社~桂坂~江戸時代の石垣~グランドプリンスホテル高輪、有馬、島津藩邸跡~高山稲荷神社~八ツ山橋~開東閣~御殿山~ソニー歴史資料館~島津山~袖ヶ崎神社~相生公園~今里町~自然教育園~看板建築群~古川~笄川合流点~天現寺~堀田坂~広尾ガーデンフォレスト~東京女学館~青山学院~表参道~表参道付近の建築~ブラジル大使館~秩父宮ラグビー場~TEPIA~神宮球場~外苑マーケット~国立競技場跡~東京体育館~新宿御苑~多武峯内藤神社~四谷大木戸、玉川上水水番所跡~富久町~曙橋駅
ランチ 自然教育園前で個々に
忘年会 楽座
二次会 曙橋の居酒屋