第537回 2023年2月12日 開催場所 岩槻
古隅田川埼玉編の続きです。前回は春日部から歩き1級河川古隅田川起点で川が幾重にも分岐しているところで終了しました。今回はそこからのスタートになります。東岩槻駅を9時にスタート。埼玉県でのラーメン超人気店オランダ軒を通過し、1級河川古隅田川起点に到着します。かつての利根川である旧古隅田川はここより南を流れていてここより下流で古隅田川と合流しています。現在の古隅田川は北から流れてくる山城堀が東に折れて古隅田川と名を変えます。ここが1級河川古隅田川起点となります。ここには西から流れてくる元荒川からの別の流れも合流します。南へ旧古隅田川に向かう流れもあります。少し先では上豊川という用水路も分岐していて複雑なジャンクションとなっています。山城堀を少し遡り東武野田線を越えたところで山城堀を離れ、慈恩寺台地に上がります。二ノ宮神社、東西寺、花積貝塚と進みます。花積下層式土器という土器の基準となるような重要な遺跡でした。台地から太古は海であったであろう低地に降りて行くと、かつては岬であったであろう台地の先端がリアス式海岸の様に出入りしています。野田線を越えると山城堀は暗渠になっています。お店などを紹介しながら住宅地へ。こちらには元荒川から古隅田川につながる別ルートの流路がありました。明治以降に造られたと思われますが、昭和40~50年代の急速な宅地化に伴い住宅や工場の下に埋められて閉まっていると思われます。もう現存してないのかと思ったら一部が開渠として残っていて、その存在を示しております。旧日光御成街道に出ます。山城堀と交差する部分には暗渠ながら石橋供養塔があり、山城堀の存在を示しています。街道から再び慈恩寺台地に上がり、脇道に入りますが、昔からの上野村の集落を通る道だと思われます。ここには古い両墓制(遺体を埋める埋墓とお参りをする詣墓が分かれている)が残り、上野の埋墓がありました。近くの宝生院には詣墓があり、戦国時代以前からの開発領主である関根氏のお屋敷が隣接しています。古い道であることは道すがら古仏が多くあるのでわかります。先に進むと難読地名の古ヶ場村に入ります。古ヶ場にも詣墓があるのですが明治に入って廃寺になったのでお寺はありません。日光御成街道に出ます。杉並木が街道の雰囲気を残していますが相野原の一里塚は削られてしまって標識も無く一目にはわかりづらい。周辺に飲食店が無いことから仁屋というお蕎麦屋さんに開店と同時に入店します。広いお店なのでゆったりとした部屋で悠々とランチを食べられたのですが、お店は人手不足のようでランチタイムに1時間半も使ってしまいました。午後は相野原村の鎮守日枝神社から古ヶ場村の集落がある脇道に入ります。この辺りも道標を兼ねた石仏が多い。古ヶ場村の鎮守八幡社を見学し高台を降りて行くと一大工業地帯。埼玉県だけでなく全国屈指の工業地。その工業地の一画に取り残されたかのように古ヶ場の埋墓がありました。また山の際には古ヶ場村の組頭を務めた加藤氏の登録有形文化財になる住宅が残っておりました。低地は完全な工業地帯。高台の際には上野村の鎮守、上野鷲宮神社があります。蓮田市と岩槻区の境界、岩槻区側は鷲宮神社を祀っています。高台の周りを巡る用水路はかつての山城堀でしょう。周辺が農地であった頃は高台からの湧水もあり、周辺の農業用水として付かされていたのでしょうね。それらの流れは直線的に右折し、新しい山城堀と立体交差しながら元荒川に向かっています。そこ流れを辿って進むと上野ポンプ場です。かつてはここで取水し、古隅田川までの水路があったのですが、いまや9割が住宅や工場の下になっています。ここまかつての古隅田川の水源と言えることでしょう。ここには水道管の橋を人道橋にした細い橋、元荒川水管橋があります。ここは日川の合流点でもありました。日川とはかつては大河で鷲宮神社と久伊豆神社の文化圏を分けていました。現在でも岩槻区と蓮田市の境界です。利根川東遷で水量を減らしたので、この辺りの湿地帯や池沼の水抜きが容易になり、山城堀などから水が抜かれ、かつての湿地帯は穀倉地帯へと変わりました。いまは日川はほぼ残っておりません。蓮田市側の伊豆島地区には村の境界に藁で作った大蛇を置いて悪疫などの侵入を防ぐという習慣がありました。工業地帯を進みます。岩槻と蓮田の境界はくっきりと風景が違います。かつての日川の曲線に合わせるように岩槻側には大規模な工場がびっしりと建ち、蓮田側は田園のままです。境界が一目でわかって面白い。かつての山城堀は黒浜沼から流れていましたが、明治初年にこれを廃し、新しく掘られた新堀を通って隼人堀川、古利根川と流れるようになりました。現在の山城堀は市境で忽然と終わっています。
蓮田市側にも用水路がありますが連動はしてないようです。田んぼの中、新堀にずっと沿って黒浜沼へ。江戸時代の山城堀の水源であり、古隅田川の水源であった場所です。沼の北方には流れ込む川があり、周辺は一面の湿地帯です。かつてはこの下流の穀倉地帯、工業地帯もこのような湿地帯であったのでしょうね。日川が衰え、山城堀が掘られ、湿地帯の水分が抜かれ穀倉地帯になり、岩槻側は昭和50年代から工業地になりました。沼の周りをぐるりと回ります。予定では慈恩寺に行くはずでしたが、もう一つの水源が日没に間に合わなくなってしまうので断念。コースを変えて来た道を引き返しました。かつての山城堀は都市排水を集めて流れています。ずっと来た道を引き返して元荒川の河畔に出ます。ここにもかつては取水口があり、古隅田川に水が流れていました。古い航空写真には見えない流れなので、この辺りが農地から宅地化するときに取りまとめられた用水路かもしれません。蓋をされた暗渠のまま1級河川古隅田川起点まで流れています。現在では取水口は取り壊されて跡形もなくなっています。古隅田川の水源の一つであったのでしょうが失われております。そしてこの辺りの元荒川も昔は蛇行していたので大正時代に造られた捷水路です。日も暮れかかり、最後は東宮歩道橋という保線区員専用通路を元荒川の歩道橋にした橋を解説し東岩槻駅に進んで終了でした。今回は江戸、明治以降の古隅田川の水源を辿り、今は山城堀が水源で、幾つかの水源は現在は失われていることがわかりました。今回いけなかった慈恩寺や、旧古隅田川、岩槻の城下町など岩槻シリーズが続きそうです。打ち上げは東岩槻の住宅地にある「さらくら」お酒も魚も美味しいお店でした
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ランチ 仁屋
打ち上げ さらくら