1月19日(日)古隅田川埼玉完結編

第578回 2025年1月19日 開催場所 岩槻、春日部
古隅田川(昔の利根川)の流路を辿るまちあるき埼玉編の最終回。これまで春日部の古利根川合流点から元荒川の分岐点や山城堀の源流点だった黒浜沼まで歩きました。今回は江戸時代以前の元荒川までの合流点まで古隅田川の流れを辿り歩く最終回となりました。日没で歩ききれないと困るので本来ならゴールと言うべき古隅田川、元荒川合流点からスタートし東岩槻駅まで歩くと言うコースにしました。最寄りバス停上飯塚のセブンイレブン飯塚店集合。一度、元荒川を大野島水管橋で対岸に渡ります。この橋は水道管の上に人道橋を通してある珍しい橋です。古隅田川と元荒川の合流点は氾濫原であったと思われる一面の田んぼで何も残っていませんが、元荒川の堤の上から見ると古隅田川の自然堤防が流路に沿って残っていることが遠望できます。古隅田川(旧利根川)の対岸であったこちら側は元下総国、新方領と言われ、利根川東遷で利根川の流路が変わり下総国葛飾郡から武蔵国埼玉郡に編入された地域です。参拝客が多い武蔵第六天社も下総国一宮香取神社を合祀しています。末田須賀堰は周辺の農業用水に水を送るために水をためる大きな堰です。江戸時代からここに堰がありますが現在はコンピューター制御の立派な堰になっています。再び堰の上を歩き元荒川を越えて対岸へ。少し史跡散歩。古道の周りには石仏や古刹、古社が続きます。末田鷲宮神社は周辺が久伊豆神社が多い地域なのに鷲宮神社なのは珍しい。少し寄り道をしましたが、また元荒川を越えて古隅田川の旧路を辿ります。ここは金山堤と言われる自然堤防が流路に沿って残っているので流れを特定できます。古隅田川が造った自然堤防に集落と鎮守様。鎮守様はどこも下総国であったことを示す香取神社です。鎮守様は残っていますが別当寺であったお寺は明治の廃仏毀釈の影響を受けてほとんど残っていません。春日部市増田新田周辺はチェーン店を中心ですが食事のできるお店が何軒もあるので、個々に分かれてランチタイム。午後はまた金山堤に沿って古隅田川を辿ります。これまで巡ってきた鎮守様は香取神社でしたが大野島村だけは鎮守が神明神社。元荒川と古隅田川に挟まれた島なので武蔵国側だったのかと色々と想像をしてみたり。この付近でも古隅田川と元荒川の合流点がありました。ここから先は前回歩いたコースと同じになります。大光寺を越えると自然堤防だけでなく暗渠が現れます。少し歩くと開渠になります。旧旧古隅田川ともいえる流れです。細流にはなっていますが、ずっと川沿いに自然堤防が続いて行きます。開発が進んで自然堤防が壊されている部分もあります。古の川の流れの痕跡ですからこのままの形で残してもらいたい。やがて旧古隅田川との分岐点が現れるので、今度は旧古隅田川に沿って歩きます。捷水路(ショートカット)が本流となっているので水の流れは少ししかありません。東岩槻駅に近づいてくると、1級河川古隅田川起点の碑があります。山城堀の水がここで古隅田川と名を変えて古利根川へ流れていきます。元荒川からの流れは水門が閉じたままになっています。旧古隅田川には水が流れていません。ここが今回のゴール地点になります。中世から現代まで何度も流れを変えてきたので頭の中でこんがらがっているかもしれませんが、資料に図説を載せたので変遷を見比べてもらえると嬉しいですし、また改めて解説いたします。17時少し前に終了しました。終了後は憩居酒場えんにて新年会。個室の座敷でのびのびと飲ませてもらいました。当会25年目にふさわしい新年会となりました

上飯塚~元荒川~大野島水管橋~大野島の道標~普門院墓地~古隅田川合流点(推定)~武蔵第六天神社~川魚料理店~木力館~須賀用水~末田須賀堰~末田須賀堰竣工記念碑、架橋記念碑~キタミソウ自生地~永代橋~定杭~末田用水取水口~改良樋管記念碑~石仏~百堂供養塔~堰安全祈願碑、旧岩槻道~田口物産~末田の地蔵道標~金剛院~末田鷲宮神社~庚申塔~蔵心寺~新方須賀香取稲荷神社~薬師堂~石仏~金山堤~大谷香取神社~石仏~大谷道祖神群~石仏~大口香取大明神~鎌倉街道~正福寺跡、川通村役場跡~旧正福寺跡墓地~慶伝塚と松の木様~新方川~増長香取神社~薬師堂~共同墓地~大野島神明神社~長宮香取神社~石仏~石塔~庚申塚~岩槻城移築本丸車橋門~北斗星~大光寺~浅間大神、香取神社~おっぽり池~増野川~弁慶水鏡の池~長宮砂丘~大光寺堤~南平野公園~旧古隅田川合流点~隅田家~1級河川古隅田川起点~上豊川~山城堀~さいたま市ふれあいプラザいわつき~東岩槻駅

ランチ  春日部市増田新田付近で個々に
打ち上げ 憩居酒場えん